ひょんなことから縁あって、数年前から落語家「三遊亭歌橘」師匠と仲良くさせていただいています。

数年前まで、くりぃ~むしちゅーの番組「ぺケポン」にて「ペケポン川柳」というコーナーの回答者として、お茶の間を賑わせていた落語家さんと言えば分かりやすいでしょうか?

年も近いこともあり、子どもの頃に見てきた映画ややってきたこと、育った土地は違ったけれども、似たような風景を見て大人の階段を登ってきた同士、非常に話が合う落語家さんである。

歌橘師匠をたずねて

こんな時代なので、ネットを通じて歌橘師匠とはよく連絡をとり合いました。

一度師匠が北海道旅行をしいる際に、札幌での宿泊日に一緒に遊んだことがあった。

その後ぼくが東京へ行った際も、寄席のある浅草を中心に、師匠の案内で師匠の行き着けをハシゴするという楽しい時間を過ごさせていただいたこともありました。

さすが真打の噺家さんだ。

寄席付近ではみんなが頭を下げて師匠に敬意をあらわすのだ。

師匠である。

一緒にいたぼくも、ちょっとだけ偉くなった気分を味わわせてもらいました(笑)

師匠って響きが好きである。

ぼくの中で師匠と呼ばれる人は特別である。

それも、世間的に認められた「師匠」の称号。

 

学校の先生はもちろんのこと、代議士、弁護士、医者、小説家や漫画家などの作家も。

みんな「先生」と呼ばれる。

先生の称号は割りと色んな職業を表す際に、便利に使われがちだと勝手に思っている。

 

しかし「師匠」と呼ばれる職業の方々は一握りな気がします。

師匠と呼ばれるまでの修行が長く続き、その先に極めた者だけが自分で言うのでなく、周りがそう呼ぶのだ。

陶芸家などの職人・芸術家もそう呼ばれる人達がいると思うが、弟子がそう呼んでも世間は「先生」と呼んだりする。

 

「先生」より「師匠」は偉いのである。

 

そして、真打までのぼりつめた噺家さんたちは皆「師匠」とよばれるのだ。

師匠の師匠に対面

ツラっと図々しい性格で物怖じしないほうだと自己分析してる自分ではあるが、さすがに緊張した出来事が起きた。

歌橘師匠の師匠「三遊亭圓歌」師匠の元へ歌橘師匠が連れていってくれたのだ。

師匠の師匠である。

大師匠だ。

さすがにビビりましたよ。

 

落語協会の会長も務め、古典から新作落語まで歯切れのよい語り口で、「山のあな、あな」のフレーズなどで“爆笑王”として呼ばれた落語協会最高顧問の三遊亭圓歌師匠に会えるのだから、土産の一つでもと思い圓歌一門のイラストを描いて持参していったことを思い出す。

 

その後、父親からも「おまえは恐れ知らずだな」なんて後に言われた(笑)

うちの父親は圓歌師匠のファンだったんですね。

 

そして、緊張しまくりで何を話していいかもイマイチ定まらない自分を暖かく迎えてくれました。

オマケに帰りには携帯を事務所に忘れてしまい、もう一度取りに帰るというハプニング付き。

とりあえず、終始取り乱してましたね(笑)最高の思い出になりました。

こんなエピソードは一生の宝物です。

こんな機会を演出してくれた歌橘師匠に感謝です。

圓歌師匠、搬送先の病院で腸閉塞のためお亡くなりに・・・

4/23(日)に東京都内の自宅で体調を崩し、搬送先の病院で腸閉塞のため亡くなったとのこと。

85歳。

戸籍上は85歳だが、戦争などがあった背景があった時代のため、実際は88歳とのこと。

SNSなどで、お弟子さんたちの投稿する近況をみていて、まだまだ元気で何よりと思っていた矢先の訃報。

「授業中」や「中沢家の人々」など、新作落語を生では聞けなくなってしまった。

 

非常に残念で仕方がない。

 
北海道には寄席のような演芸場など存在しない土地で、落語、噺家に触れる機会というのは笑点と学校で行われる芸術鑑賞程度。

そんな落語についての右も左も分からない自分を暖かく迎えいれてくれ、気さくにお話をしてくれたことを思い出します。

三遊亭圓歌師匠が昭和から平成の時代に築き上げた落語の文化を、今活躍されてる噺家さんたちで引き継いで、より多くの人が落語という文化に触れることができたらいいなと思っています。

北の果てで密かに活動している一介の絵描きに優しくしてくれてありがとうございました。

心よりご冥福をお祈りいたします。